自分がしようとしてること、今してることを(この記事でだけ)ぜーーんぶ否定します。
……否定したいわけではないんだけれど、これを言ったからってどうにもならないんだけど、素直な感想を残しておこうと思います。
自分よりもずっとずっと前から保護活動をしてる方たちにはすごく失礼だけど。センターに行って思ったこと書きます。読まない方がいいかも。
昨日センターから仔猫を引き出しました。4匹。小さくてぷるぷる震えながら私達をみています。シャー!と威嚇して必死に怖さと戦ってるコもいます。
その4匹の他に成猫が2匹、事故にあって治療中のコでした。人間を信用してない目、ギロリと睨んで「近づくな」と言ってるみたいでした。
処分予定だそうです。
事故では死にきれず、保護されて、わざわざ延命処置をしてから殺されます。
人のぬくもりを知らないまま、ただただ怖い思いをしたまま死んでいきます。
そんな現実を目の当たりにしたとき、こんなんどうしたらいいの?こんなちょっとくらい助けて何になる?って思ってしまいました。地道すぎるなぁと。今まで助かったコしか見てこなかったから。生きていけるチャンスを掴んだ、ほんの一握りの幸運なコしか見てこなかったから。
現実を目の当たりにして、ひるんでしまった。たった4匹家に迎えて、たった4匹預かって意味あるんやろかと。
何千何万という数が、目の前の2匹を通じてガンッと一気に押し寄せて来た気がしました。
これから自分が向き合わないといけない問題の大きさに、その途方もなさに、びびりました。怖さすら感じました。
この感覚は忘れられないと思います。というか、忘れちゃダメですね。
言葉にしきれないこのいやな気持ち、表現できない程のもどかしさ。きっと初めてたがらこその感覚だと思います。あの場の雰囲気を知らなかったからズカズカ入っていけた。
次、その次、そのまた次はどう思うのか。
もっと積極的に保護活動ができるようになったとき、もっとたくさんの死に直面したら、なんだか慣れてしまうような気がして。
「全員助けてやる」
強気でいられるように。この記事は自分を奮い立たせるための手紙としておこうと思います。
将来の自分へ向けて!
この手紙がブログの下へ下へとなっていっても、考え悩み続けて行こうと思います。
そしてそして、まだまだあるこの時期のもやもや。
ついこの前、知り合いに「保護活動してるところにわざわざ拾って連れていってあげるのになんでお金(引き取り料)払わんなんの」と言われました。
私は否定も肯定もしませんでしたが、この活動に知識も興味もない人の大半の意見がこれだと思います。この意見を責めることはできませんね。こう言った方に理解してもらうように工夫するのも、こちらの課題かなと思います。でも
拾ったその時点で生かすも殺すもあなた次第。責任はすべて拾ったその人にあります。拾ったのが子どもならばその責任は親にあります。
だから「連れてきてあげたのに」はやっぱり間違いだと思う。
寝る間を惜しんで、ミルクをあげます。排泄をさせて、部屋の温度に気を使い、少しでも安心できるように優しくなでます。自分の居場所だと思えるように環境を整えます。体重、体調の変化は、細かいところも見逃せないからいつもドキドキ。清潔に保つために掃除も欠かせません。「怖くないかな 寂しくないかな 大丈夫だよ」心のケアもします。人と触れ合う喜びを知ってほしいから一緒に遊びます。いつか現れる家族にたくさん可愛がってもらえるように、いっぱい、いっっっぱいの愛情を注ぎます。
拾ってきた人の代わりに。
捨てた人の代わりに。
恩着せがましく聞こえるし、他の誰でもないねこのためにやってることだから、口には出さないけど、絶対言わないけど、
言わないだけです。恐らくこれからも、
「お前の代わりにしてやってるぞ」って
「お前が捨てた子、代わりに育ててるぞ」って、私はどうしても思ってしまいます。
だから保護相談の電話でも、言葉選びながら親身に聞くふりをして「どうにかしてほしかったら、お金くらい文句言わんとおいていけ」「物ちゃうねん」と電話の向こうで思っています。
言わないけど。
中には、どうにかして助けてやりたい と思って下さる方も、もちろんおられます。そういうのは声色でわかるものです。自分ではどうしようもできない、でも絶対助けたいという一心で託してくれます。今預かってる、びゅ4兄妹がそうですね、親切な方に巡りあえたから助かりました。油断はできないけど、
きっと幸せに過ごしていけます。
4匹の重み、凄かった。なんでもできる気がしました。知識面でも技術面でもまだまだこれからなことばかりだけど、自分ができること地道にやって行こうと思うしかありません。
……こう言うのはブログに載せるべきではなかったかな?
でも、あくまで個人ブログ。この記事は将来の自分に向けて、吐き出しと言うことで。
ごかんべん。